逮捕に備えた北詰は橋本和憲と共謀して、河野からの告訴を虚偽告訴事件とすべく、殴り掛かったのは河野であり、この暴行に防禦としての傷害であると主張した。
二十回近くの公判を重ねて、北詰の主張は認められず有罪判決になった、二審では新証拠が出たのでもなく弁論も開かず、ただ原田の心証だけの即日結審で無罪判決となった、だが北詰には別事件として二件の虚偽告訴事件、有印公文書捏造他多数あり、また北詰の保険金殺人事件も俎上に挙がっている。

原田國男の確信的誤判は司法対象暴力にある、検察官も述べているが北詰が有罪となり、これをインターネット等で騒がれるのが怖い、この危惧から原田は政治的判決をした、事実認定の権威とかの原田だからこそ出来る裏刑事裁判の実態である。